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大化の改新(乙巳の変)の隠された事実①

こんにちは、今回は大化の改新(乙巳の変)

ついて考えたいと思います。

 

火鳥風月なりの大化の改新の解釈はあるのですが、

まずはよく知らないよ。

という方のために一般的には

大化の改新とはどんなものかを説明したいと思います。

 

時は7世紀中頃。

 

天皇家に沢山の娘を嫁がせて血縁関係を結んでいた

蘇我(そが)氏は権力の絶頂にいました。

 

蘇我氏とは今でいう内閣総理大臣のような

地位にいた、当時の最高権力者の一族です。

 

蘇我氏があまりにも多方面に嫁として

蘇我一族の娘を嫁がせるので、

当時のお偉いさんはほとんど全て蘇我氏の親戚と

いうような状態でした。

 

そのため、地方の有力な豪族も誰一人として蘇我氏に逆らえません。

また、渡来人を多く抱えていたため、蘇我氏は技術力も人員も段違いでした。

 

当時の先進技術、例えば製鉄技術などは渡来人が

朝鮮半島から持ってきたのです。

 

そのため、天皇家ですら蘇我氏に簡単には

手出しができません。

 

というよりも、天皇家に蘇我氏の血が入りすぎていたのです。

 

そのため、蘇我氏の宗家の蘇我蝦夷(えみし)と

蘇我入鹿(いるか)親子の振る舞いはどんどんエスカレートしていきます。

 

643年。

 

ついには、聖徳太子の子供である

山背大兄王(やましろのおおえのおう)を

蘇我入鹿は討ってしまいます!

 

ちなみにこの時は蘇我入鹿の独断で父である

蘇我蝦夷は寝耳に水だったらしいです。

入鹿
父上、山背大兄王を討ち取りました!

これで天下は我らのものです!


蝦夷
!!!???


入鹿
何を驚いているのですか?

我らの天下がきたのですよ!


蝦夷
なんて事をしたんだ!

流石にやりすぎだ!

お前の命が危ないぞ!


入鹿
はっはっは。

父上も大げさな。

我らに逆らえるものなんてもう居ませんよ。


蝦夷
むぅう。

しかし、やってしまったことは仕方ない。

次からは父に相談するのだぞ。

こんな会話があったとか、無かったとか(笑

 

山背大兄王はもともと推古天皇の後継者の一人でした。

 

推古天皇の死後、もう一人の候補である舒明(じょめい)天皇が即位したため、

山背大兄王は天皇になれませんでしたが、

それくらい天皇家の血の濃い人です。

 

その人を蘇我入鹿は攻め滅ぼしてしまいます。

さすがに天皇家にも緊張が走ります。

 

このままでは私達も危ないのでは無いか?

 

そう思った中大兄皇子(当時の天皇(皇極)の息子)とその部下である中臣鎌足は

蘇我氏暗殺を計画します。

 

ちなみにこの二人の出会いは蹴鞠(けまり)

=日本式のサッカーのような遊びをする集会で出会ったと言われています。

中大兄皇子
鎌ちゃん、おひさー、元気?


中臣鎌足
中ちゃん!蹴鞠以来だね!元気元気!


中大兄皇子
そいえばさー、最近あいつ調子乗ってね?


中臣鎌足
あいつって・・・?


中大兄皇子
あいつだよ、あいつ!

蘇我氏!このまま行くと俺らもやばくね?


中臣鎌足
確かにやばいよね~。

この前も山背大兄王が討たれちゃったし。

やられる前にヤッちゃう?


中大兄皇子
鎌ちゃん話しはやーい!

母上(皇極天皇)に頼んで宮中に呼ぶから、 兵隊用意してやっちゃって!

というわけで、645年に宮中に朝鮮半島からの

贈り物の目録を読み上げるからという名目で

おびき寄せて、入鹿を暗殺してしまいます。

 

息子が殺されたことを知った蝦夷は観念して、

自宅に火をつけて自殺してしまいます。

 

こうして悪逆非道を尽くした蘇我氏はされました、

めでたし、めでたし。

 

これがいわゆる乙巳の変です。

 

この乙巳の変は日本書紀という書物に

書かれているのですが、

実は隠された歴史があります。

 

そちらは後半の記事で説明したいとおもいます。

(後半の記事はこちらから

大化の改新(乙巳の変)の隠された事実②

 

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