2018.10.27 更新 | 飛鳥時代
大化の改新(乙巳の変)とは?大化の改新の隠された真実
こんにちは、今回は大化の改新(乙巳の変)
について考えたいと思います。
火鳥風月なりの大化の改新の解釈はあるのですが、
まずはよく知らないよ。
という方のために一般的には
大化の改新とはどんなものかを説明したいと思います。
目次
1.大化の改新とは
まずは、大化の改新とは何かについて解説したいと思います。
1-1.蘇我氏の絶対的な権力
時は7世紀中頃。
天皇家に沢山の娘を嫁がせて血縁関係を結んでいた
蘇我(そが)氏は権力の絶頂にいました。
蘇我氏とは今でいう内閣総理大臣のような
地位にいた、当時の最高権力者の一族です。
蘇我氏があまりにも多方面に嫁として
蘇我一族の娘を嫁がせるので、
当時のお偉いさんはほとんど全て蘇我氏の親戚と
いうような状態でした。
そのため、地方の有力な豪族も誰一人として蘇我氏に逆らえません。
また、渡来人を多く抱えていたため、蘇我氏は技術力も人員も段違いでした。
当時の先進技術、例えば製鉄技術などは渡来人が
朝鮮半島から持ってきたのです。
そのため、天皇家ですら蘇我氏に簡単には
手出しができません。
というよりも、天皇家に蘇我氏の血が入りすぎていたのです。
そのため、蘇我氏の宗家の蘇我蝦夷(えみし)と
蘇我入鹿(いるか)親子の振る舞いはどんどんエスカレートしていきます。
1-2.蘇我入鹿と山背大兄王
643年。
ついには、聖徳太子の子供である
山背大兄王(やましろのおおえのおう)を
蘇我入鹿は討ってしまいます!
ちなみにこの時は蘇我入鹿の独断で父である
蘇我蝦夷は寝耳に水だったらしいです。
これで天下は我らのものです!
我らの天下がきたのですよ!
流石にやりすぎだ!
お前の命が危ないぞ!
父上も大げさな。
我らに逆らえるものなんてもう居ませんよ。
しかし、やってしまったことは仕方ない。
次からは父に相談するのだぞ。
こんな会話があったとか、無かったとか(笑
山背大兄王はもともと推古天皇の後継者の一人でした。
推古天皇の死後、もう一人の候補である舒明(じょめい)天皇が即位したため、
山背大兄王は天皇になれませんでしたが、
それくらい天皇家の血の濃い人です。
その人を蘇我入鹿は攻め滅ぼしてしまいます。
さすがに天皇家にも緊張が走ります。
このままでは私達も危ないのでは無いか?
1-3.中大兄皇子と中臣鎌足による蘇我氏暗殺計画
そう思った中大兄皇子(当時の天皇(皇極)の息子)とその部下である中臣鎌足は
蘇我氏暗殺を計画します。
ちなみにこの二人の出会いは蹴鞠(けまり)
=日本式のサッカーのような遊びをする集会で出会ったと言われています。
蘇我氏!このまま行くと俺らもやばくね?
この前も山背大兄王が討たれちゃったし。
やられる前にヤッちゃう?
母上(皇極天皇)に頼んで宮中に呼ぶから、 兵隊用意してやっちゃって!
というわけで、645年に宮中に朝鮮半島からの
贈り物の目録を読み上げるからという名目で
おびき寄せて、入鹿を暗殺してしまいます。
息子が殺されたことを知った蝦夷は観念して、
自宅に火をつけて自殺してしまいます。
こうして悪逆非道を尽くした蘇我氏はされました、
めでたし、めでたし。
これがいわゆる乙巳の変です。
2.大化の改新で隠された事実とは
この乙巳の変は日本書紀という書物に
書かれているのですが、
実は隠された歴史があります。
2-1.大化の改新と日本書紀
実はですね、この日本書紀というのが曲者なのです。
乙巳の変は645年なのですが、
日本書紀が完成したのは720年なのです。
この間に約80年近くの年月があり、
しかも編纂を命じたのは藤原不比等と言う人です。
この藤原不比等さんが部下の太安万侶と言う人に作らせました。
(
天武天皇と言われていますが
完成したのは天武天皇の死後のため
藤原不比等の影響が大きいので
この藤原不比等は藤原鎌足の次男です。
藤原鎌足というのは名字を変えた中臣鎌足のことです。
つまり、バリバリ乙巳の変の当事者の息子です。
しかも乱を起こした、いわゆる加害者側の人間です。
ということは、父親たちの正当性を示さないと、
もしかしたら自分たちの立場が脅かされるかもしれない。
そう考えて、万が一にも自分たちが悪者に
ならないように、蘇我氏を絶対的な悪役にして
書かせたと言われています。
しかも、日本書紀以前には
帝紀(ていき)・旧辞(きゅうじ)
という歴史書があったと伝えられていますが、
この書物は大化の改新の時に失われたと言われています。
これはあまりにも偶然が過ぎるのではないでしょうか?
と言う感じで圧力をかけて、
日本書紀を編纂させて、都合の悪い資料は
全て闇に葬り去ったのです。
不比等、悪いやつですね~(笑
今でいう影のフィクサーです。
なので、そもそも日本書紀自体がそのような経緯でできたため、
蘇我氏って本当に書かれているほどの悪人だったの?
中大兄皇子と中臣鎌足って本当に英雄だったの?
藤原氏=鎌足って権力の座につくけど、
正しい歴史って伝わってないんじゃないの?
と言う疑問が出てくると思います。
これらの答えとなぜ不比等が
そこまで徹底的にしないといけなかったのか
という背景については、
ものすごい壮大な秘密があるのですが、
それらは、実際に藤原不比等ゆかりの地を
見ながら解説するリアルイベントを企画していて、
その中でお話ししようと思います。
ただただ情報としてお伝えするだけでなく、
実際に不比等ゆかりの地で空気感を体感しながら、
その時代に思いをはせてもらえたらと思うからです。
3.大化の改新のまとめ
さて、それでは今回の記事のまとめをします。
・日本書紀では蘇我氏=悪に書かれている
・日本書紀は藤原不比等=鎌足の息子が編纂を命じた
・藤原氏にとって都合の悪い歴史は全て隠されてしまった
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。