2018.07.15 更新 | 縄文時代
織田信長VSスペインの知られざる戦争があった?
こんにちは。
今回は前回の記事に引き続き、
豊臣秀吉とキリスト教について考えていきます。
(前回:豊臣秀吉とキリスト教の本当の関係とは?)
日本人を煽動して、自社仏閣を破壊したり、
日本人を奴隷として売り払っていることを
知った豊臣秀吉は激怒して、
宣教師の入国を禁止しました。
ですが、布教に熱心な宣教師たちは
次々と密入国してきます。
なぜ、見つかればただではすまないのに
危険を冒してまで日本に来たのでしょうか?
そして、なぜそれをみた豊臣秀吉は
キリスト教への圧力を次第に強くする必要があったのでしょうか?
今回はその謎に迫っていきたいと思います。
さて、まずは宣教師がなぜ危険を
冒してまで日本に来ていたのか。
それはもちろんキリスト教を
広めるためではあるのですが、
実はその裏には恐ろしい計画があったのです。
それが、日本の植民地化です。
当時、スペインは、
オスマン帝国、中国、日本を植民地化しようと
していましたが、
オスマン帝国は軍事大国ですし、
中国は人口が桁違いなので手が出せませんでした。
なので、この2つの国を制圧するのは
至難の業だと考えていました。
そこで迷惑なことに白羽の矢が立ったのが
日本だったというわけです。
というわけで、日本にやってきたわけです。
スペインはいつものように国王を捕えて、
国を制圧しようとしました。
しかし、そこに居たのは・・・・
そう、あの、
第六天魔王 織田信長
です(笑
信長は神道の家系というか、
神主の家系です。
武力もあり、日本も統一されそうで、
しかもキリスト教に入らなそうな信長を見て
スペインは武力での制圧を諦めます。
そもそも日本の王様という意味では、
天皇を抑えに行くべきでしたが、
当時は内戦に続く内戦で天皇の権威は
地に落ちてしまいました。
加えて、将軍の地位をもらっていた足利も
信長によってその権威を失墜させられています。
そんなわけで、
信長を抑えようと思いましたが、
無理だと悟ったスペインはとりあえず
機嫌をとっておこうと貢物をします。
そして、ひとまず、九州の大名から
キリスト教を広めてキリシタンを増やし、
キリシタン大名に日本を乗っ取らせて、
日本を占領するつもりだったのです。
つまり、宣教師はキリスト教の普及という
名目で日本に来ては居ましたが、
実際にはスペインの尖兵だったというわけです。
もしも、信長が居なかったら、
日本はスペインの植民地になっていたかもしれません。
当然、このやり取りは部下である秀吉も
知るところですので、
信長の死後も宣教師に対して、
警戒を怠らなかったというわけです。
それでは、今回のまとめです。
・秀吉はキリスト教をいたずらに弾圧したのではない
・そもそも宣教師は日本を占領しようとした
・そこから守るために規制を強めていった